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納豆屋エピソード

この味大阪育ち!
大阪の納豆屋さん物語 エピソード2

今から40年程前、私が幼稚園児だった父親参観日の事だと思います。
園児はお父さんの前で「私のお父さんのお仕事」を発表する事になっていました。
園児は得意げにお父さんのお仕事の話をしています、
いよいよ納豆屋の息子、私の順番です。
参観に来てくれていた父親も私をじっと見ていたと思います。
その時私はこう言いました「ぼくのお父さんは大きな機械で漬物を作っています」と・・・
そうです、私は自分の父親の仕事が納豆屋だとみんなに知られる事を避けました。
当時大阪で納豆は「腐った食べ物、臭い食べ物」の代名詞みたいな扱いでした。
今思い返すと、幼稚園児の私がそこまで理解していたかどうかわかりませんが、とにかく本能的に隠さないといけない気がして、そう言ったんだと思います。
家に帰ってから母親に責められた記憶はありますが、父親に責められた記憶はありません。

いいものを求められる形にして 時は流れ私は3人の父親となりました。
たしか長男が小学校1 年か2年生の父親参観日の事です。
その日の授業は生徒が自分が将来なりたい職業を事前にVTRに撮っておき、当日そのVTRを生徒と父親が一緒に教室で観る参観でした。私の息子は、日頃から「将来納豆屋さんになる」と言ってくれていたので、期待しながら息子の順番が来るのを待っていました。

やがて息子の順番、息子が画面に映っている姿を私はじっと観ていました。
息子は言いました「将来僕は、本屋さんになります!」
その時私は不思議と腹も立たず息子のVTRを淡々と眺めていました。

同じ頃、長女の通う中学校から、職業体験依頼が来ました。
私と妻は学校へ了解の返事をしました。
数日後、妻が怒り口調でこう言いました、
「あの子、職業体験の話、断って言うから、あんたウチが何でメシく食うてんのか、わかってんの!」と怒ったそうです。デリケートな年頃の長女は自分が納豆屋の娘だとクラスメートに知られるのが嫌だったんだと思います。
長女には気の毒ですが、その年から毎年、職業体験は続いています。
不思議とその後の長女は何も言いません。

いいものを求められる形にして 又また同じ頃、次女の通っていた幼稚園から、工場見学の依頼があり、了承しました。
園児が多いので3日間に分かれての工場見学となりました。
初日、園児たちは、工場に入る前の準備段階からはしゃぎまくっていました。
例えば、工場用の帽子、マスクの着用、クルクルで衣服の毛玉をとる作業、消毒と、何でも無いような事が、興味をそそり、やる事全てが楽しそうでした。
工場に入ると更にヒートアップ、とにかく最初から最後まで笑顔笑顔で帰って行きました。

二日目、私の次女のクラスの工場見学の日です。
前日、見学を終えた園児たちの話を聞いていたのか、園児たちは目を輝かせ笑顔でやってきました。
次女も何だか誇らしげな顔をしています。
工場見学が始まると、昨日以上に盛り上がって帰って行きました。
そして3日目も初日、二日目同様 園児たちは大変喜んで帰って行きました。
もちろんこの工場見学は、今でも続いています。

そして次女も卒園し、小学生になったある日のことです。
妻が笑顔で私にこう言いました、
今日次女が、こんな事 いってたヨ、
『今日学校を休みたい』って、言うから「なんで?」と聞くと
「今日、お父さんの会社で幼稚園の見学がある日やろ、
私、いっしょに工場見学したいねん」